おーりたぼーり第8回:どこにありますか?

けーらなり、みしゃろーるんねーら?みーとぅすぃん んかいよーり、いーくとぅゆー!(あけましておめでとうございます!)

さて、2018年の最初のポッドキャストでは、メーラムニの動詞を紹介しはじめるため、「どこにありますか?」という簡単な質問と答えの言い方をまとめました。動詞の活用などは、少し複雑ですが、まずは簡単な言い方から入って、これから少しずつ一緒に学んでいきましょう!どーでぃん しきたぼーんなーら!

 

めーらむにならひたぼーり 原稿

けーらなり、くよーまなーらー。
みしゃろーるんねーら。

今日は、めーらむにと日本語の両方で書いた原稿をアップします。東京にある三元社さんの「言葉と社会」という雑誌に載っていますが、PDFで見れるようにしました。クリックしてみてみてください。

meeramuni-narahitaboori-madokahammine

めーらむには、ほとんど書き言葉として使われてきていませんから、どのように表記するかという問題がありました。例えば、いわゆる 中舌と呼ばれる音の表記は、統一されたものがありません。そもそも、日本語にはない音があるわけだから、それをひらがなで書こうとすること自体難しいです。私のエッセイの中では、大濱先生の三線の工工四などでもよく使われる表記(ウ段に小さいイ段を使って書く表記法)を使用しました。また、これまで、宮良村では、めーらむにを表記するのに、カタカナを使う事が多かったようです。そのため、何人かの先輩からは、カタカナで書いた方が良いのでは?というご指摘も受けましたが、このことに関しては、論文の指導してくださっている先生からのアドバイスなどもあり、今回はひらがなを使いました。日本語からの借用語は、そのまま感じで表記しました。そして、話者によって、同じ単語でも発音が異なることもあるために、それをどのように表記するか迷いました。そのように、たくさん迷いながら書いたのがこのエッセイです。まだまだ完璧ではないところもたくさんありますので、これからもどうぞご教授願います。

めーらむらぬしじゃぬめー、ばぬげ めーらむにゆならひたぼーり しかいっとぅみーはいゆー。(これを書くために、たくさんの宮良の先輩方にお世話になりました。本当にありがとうございました。)

どーでぃんゆみたぼーり。(よかったら読んでみてください。)

少し原稿の最初の方をこちらに載せておきます。

ばーや やいまぬ めーらむらとぅ うくぃなーぬ 与那原出身ぬぶげーぶねーぬむとぅんがどぅ まりだそんが、ぶげーぬ ばがはーるばしょがら やーにんじゅさーり うくぃなーげ くちくぃたきー めーらむに どぅぐばがらぬゆー。

ばーぶげーや めーらぷぃとぅゆー。ばーぶねーやうくぃなーぷぃとぅどぅやるきー、やーなんがーやまどぅむにさーり はなひーだゆー。めーらぬばーあっちぇーあっぱーや、めらむにゆ しかいとぅじゅんちおーったそんが、ふぁーげー はなほーるばしょー、やまどぅむにたんがーさーり ぱなひおーったよーすゆー。のーでぃどぅ めーらむにさーり ぱなはなーだゆ ばーやどぅぐばがらぬゆー。あっちぇーあっぱーぬ ばがはーる ばしょんが、学校んが 方言札でぃいずむぬんどぅあり、やまどぅむにゆ すこーそーどぅ あたらはーるくとぅでぃどぅ ならーはりだよーすゆー。あっちぇーあっぱーや 小学校おーびどぅ んどーったよーすゆー。やっそんが、どぅーぬふぁーや 中学校、高校、大学げはらひ、勉強しみぷさんでぃ うむいおーったよーすゆー。うぬくとぅんありり、どぅーぬふぁーげーや やまどぅむにばどぅ すかいおーったあらぬかやーでぃ、ばーぶげーがら しきめーる うぶいぬあるんゆー。

続く…続きは、PDFでみてください。

meeramuni-narahitaboori-madokahammine

 

アイヌの土地を訪れて思ったこと

けーらなろーり。みしゃろーるんねーら。きゅーや、やまとぅぬにすんたがら、かえりくぃたゆー。どーでぃんゆみたぼーんなーら。

はじめて北海道を訪れた。札幌で行われた先住民族の政策に関する国際学会に参加して、そのあとに二風谷地区を訪れた。

二風谷で撮った写真。

その経験のなかに、一つ忘れられないことがある。「アイヌ語で◯◯は何というのですか。」という日本人からの質問に対して、「ごめんなさい、何もわからなくて。」というアイヌの女性がいた。私は、悲しかった。どうして、自分の言葉をわからなくて、(というか、言葉を奪われて)それを奪った人たちにそんなことを聞かれて、わからなくて、「ごめんなさい」という状況になっているのか。それを私たちは一緒に考えなければならないのではないだろうか。 “アイヌの土地を訪れて思ったこと” の続きを読む

メーラムニの形容詞の紹介

ポッドキャストの第6回第7回では、メーラムニの形容詞を紹介しましたが、いかがだったでしょうか。少し、ポッドキャストで紹介した形容詞の文法的な特徴を、少しまとめて書きたいと思います。言語学の用語をできるだけ避けて、できるだけわかりやすく書きますが、わからないところありましたらコメントの方で是非質問して下さい。

まずは、日本語の形容詞から入りましょう。日本語の形容詞は、基本的に「〜い」で終わるものですね。例えば、「高い」「低い」「赤い」「黒い」がすべて形容詞です。少し分析してみると、これらを「語幹」と「接尾辞」と言った部分に分けることができますが(すみません、言語学の用語を使ってしまった)、「語幹」とはその形容詞の根本的な意味を表す、常に変わらない部分ですね。「たかい」の語幹が「たか」だし、「ひくい」の語幹が「ひく」ですね。そして、これらの語幹に接尾辞「い」が付きます。過去形や否定形等にすると、この「い」の部分がかわります。例えば、「あか」の過去形が「あかかった」だし、否定形が「あかくない」ですね。変わらない部分が語幹で、活用によって変わる部分が接尾辞です。

さて、日本語の形容詞は、語幹+「い」という形となりますが、メーラムニはどうでしょうか。沖縄本島の言葉(ウチナーグチ;メーラムニでは「うくぃなーむに」)では、形容詞は基本的に「〜さん」で終わります。小浜島が日本全国有名になったドラマ「ちゅらさん」もその例です。これを初めて耳にした本土の方がおそらく「誰、ちゅらさんって?」と思ったんだろう。もちろん、「ちゅらさん」の「さん」は、人の名前につける「さん」とは違います。「ちゅらさん」は、「美しい」を意味する形容詞で、その語幹が「ちゅら」(日本語の「清ら」と語源的に関係がある)で、その語幹に付く接尾辞が「さん」です。ということは、沖縄語の形容詞は、語幹+「さん」という形になります。日本語の形容詞の語幹と同じ語幹のものもあります。例えば、「高」は沖縄語では「たかさん」だし、「赤」は「あかさん」となります。

さて、八重山語はどうでしょうか。実は八重山語の中でも、島や村によって違います。まずは四箇方言から見ましょう。四箇方言では、基本的に沖縄語とほぼ同じく、形容詞は「〜さーん」で終わります。例えば、「高い」に相当する形容詞は、石垣方言辞典では「タカサーン」となっていますが、これは日本語と同じ語幹「タカ」と接尾辞「サーン」からできたものです。「赤い」は同じく「アカサーン」となっています。

ということは、石垣方言(八重山語四箇方言)では、形容詞は語幹+「さーん」という形になるようです。しかし、語幹によっては、「さーん」ではなくて「しゃーん」になるものもあります。例えば、「美しい」の意味を表す形容詞は、石垣方言辞典では「カイシャーン」とあります。これは、語幹「かい」と接尾辞「しゃーん」からなった形です。

では、なんで「美しい」は、「かいさーん」じゃなくて「かいしゃーん」となっているでしょうか。これは、語幹の最後の音のためです。語幹をローマ字で書くと分かりやすいです。「かいしゃーん」の語幹は「kai」です。最後の音は i ですね。石垣方言では、語幹が i で終わる形容詞は、すべて「しゃーん」という形になります。例えば、「嬉しい」の意味を表す形容詞は、石垣方言辞典では「サニシャーン」とあります。これも、語幹「sani」が i で終わっているため、接尾辞が「シャーン」となっていますね。

まとめてみると、石垣方言の形容詞は、語幹+「サーン」または「シャーン」という形になります。「シャーン」という形になるのは、語幹が i で終わる場合だけです。

メーラムニは、これとはまた違う、しかも少し複雑なものになりますが、最後にそれを見ましょう。メーラムニの形容詞は、語幹の最後の音によって、接尾辞が基本的に四つほどの違う形になります。次の例を見てください:

あかはーん  「赤い」
aka-haan
たかはーん  「高い」
taka-haan

あうほーん  「青い」
au-hoon
ちょーほーん 「長い」
cyoo-hoon

かいへーん  「美しい」
kai-heen
まいへーん  「大きい」
mai-heen
さねへーん  「嬉しい」
sane-heen

すぃーさーん 「すっぱい」
ï-saan

形容詞によっては、形が「はーん」、「へーん」、「ほーん」、そして「さーん」で終わっていますね。複雑に見えるかもしれませんが、語幹の最後の音をよく見ると、一般化がわかるはずです。形容詞の接尾辞の形は、語幹の最後の音によって決まります。

語幹が終わる音:
a → 「はーん」
u / o → 「ほーん」
i / e → 「へーん」
ï → 「さーん」

要するに、「たかはーん」「あかはーん」「んまはーん」など、語幹が a で終わるものは「はーん」になるし、「あうほーん」「ちょーほーん」「よーほーん」など、語幹が u または o で終わるものは「ほーん」になるし、「かいへーん」「まいへーん」「さねへーん」など、語幹が i または e で終わるものは「へーん」になります。そして、数少ないけど、「すぃーさーん」みたいに、語幹が中舌母音 ï で終わるものは石垣方言と同じく「さーん」になります。

はぁあ、疲れましたね。まあ、こんな理屈を気にしないで一つ一つ覚えてもいいだろうけど、一応メーラムニは上のようなパターンで形容詞の形が決まります。しかし、例外もあります。例えば、「寒い」の意味を表す形容詞は「ぴーしゃーん」となります。これの語幹が「ぴー」ですので、上の理屈から考えたら「ぴーへーん」となるはずですが、不規則的に石垣方言と同じく「ぴーしゃーん」となるようです。または、「良い」を意味する形容詞は「みしゃーん」ですね。

上の形はすべていわゆる「現在終止形」です。ポッドキャストでは、この他にいくつかの形を紹介しましたが、これらについては別のポストでまとめたいと思います。少し細かい紹介を読みたい人は、このペーパーを読んでみてください:

2017年文化庁報告書・宮良・デイビス

このペーパーは、研究者向けのものではありますが、専門家じゃない人にも分かりやすく書いた(つもり)ですので、興味のある方、是非目を通してみてください。

結願祭

けーらなり、くよーまなーらー。みしゃろーるんねーら。
ばーや、きゅーや めーらんがどぅうるゆー。ばーや、めーだどぅぐばがらぬくとぅん、たかーにあるゆー。やっそんが、きゅーや、ばーやめーらぬ結願祭げはりて、でーずぬしゅくさにへーだゆー。めーらぬしじゃぬめーがら たかーに めーらむにゆ ならいてー、ぐぃばらばどぅなるでぃどぅ ばーや なまうむいうるゆー。

ミルク神
踊りの奉納

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Educated not to be able to speak your own language?

Hi everyone. Today, I decided to write this post in English because I think by writing in English, more people can read about my experience on Ishigaki Island.

I have been working on learning my heritage language (Miyara Yaeyaman) and developing learning materials for Yaeyama Language, one of the Ryukyuan languages spoken in the Ryukyu Islands in Japan.  Our languages (Ryukyuan languages) are endangered and it is said that people stopped speaking them to younger generations around 1950s and 1960s.

I was born in Ishigaki in 1988 but grew up mainly in Okinawa main island.

I have many families and relatives who live in Miyara, Ishigaki. This is a story from one family, who lives in Miyara. Father speaks Miyara Yaeyaman fluently. I often go to study with him. He is my uncle. He is a very kind and generous man always helping me to learn my language. He told me that at age of 14, he decided to speak Miyara Yeayaman with his parents. But his classmates were laughing at him, telling him “why are you speaking like a grandpa?”

Sometimes I come across with people of the village who tell me “why are you learning a dirty language? ”  The other day, I was told that “if you were an ugly woman, I would speak Miyarn to you.” This makes me so sad. Our language is not dirty. It is beautiful and very precious. But somehow it is considered as a language of dirty people or ugly people. Why?

It makes me sad that the ability to speak the language of the Island is somehow related to socioeconomic situation.

I feel that my grandparents decided not to use our language because they wanted their children to succeed in our society. Miyara village has been a village of agriculture. My grandparents were farmers, they grew pineapples, sugarcanes and rice. My grandfather passed away already but my 95-years-old grandmother is healthy and she is in a nursing home.

My father, who is the third eldest son among his 6 siblings, once told me, he wanted to get education in Tokyo. But he could not because his family was not able to afford it. Another Miyaran man of his age told me, there is a tendency that if people want to study at university, people tend to stop speaking the language.  Why do people have to choose either speaking the language and stay OR not speaking the language and get education?

I studied hard in school, in Japanese. I studied also English, Finnish and Italian. I studied languages. However, when I come back to Ishigaki to see my grandparents and find myself that I do not completely able to speak my grandparents’ mother tongue and my own mother tongue, I could not stop my tear. I feel lost.

What have I done? What was my education all about if I cannot speak the language closest to me?

Why do we have to stop speaking our language if we want to get education? I feel like I was educated NOT to speak my own language. 

可能表現の調査

八重山語の文法は、ある程度学者向けの論文や辞典などで記述してありますが、基本的に自分で島に行って、直接に聞いたりしないとわからないことが多いです。八重山語の研究は、およそ6年前からはじめましたが、八重山語の文法を調査するときは、一体どのようにやっているでしょうか、と思う人もいるでしょう。

昨日から石垣に来ていますが、昨日の昼間に成底さん兄弟に山の「別荘」(畑の作業場)に誘ってもらって、ヤギ刺しとピビジャヌスルィ(山羊汁)をいただきました。成底兄弟はメーラムニが達者でもあり、せっかくだからその機会を使って簡単な文法調査もやってみました。テーマは、「可能表現」でしたが、例えば日本語では「飲める」とか「飲むことができる」とかのような表現ですね。3分ぐらいで幾つかの表現を確かめることできましたが、まずビデオでその様子をご覧になってください。

さて、文法のまとめですが、このビデオでは2つほどの可能表現が出ましたね。動詞「ヌムン」(飲む)を例に取り上げると、「飲める」のような意味を表す表現は「ヌミシーン」と「ヌミブスン」と言った2つの形が存在しますね。少し分析すると、「ヌムン」の、いわゆる連用形「ヌミ」に、「シーン」または「ブスン」を付けてできる形です。もちろん、他の動詞も同じパターンになります。例えば、「フォーン」(食べる)の連用形は「ファイ」となりますが、「食べられる」は「ファイシーン」や「ファイブスン」となりますね。

これらの可能表現のそれぞれの否定形も3分ほどの調査の中に出てきましたが、気付きましたでしょうか。「〜シーン」の否定形は、「〜シャーヌ」でしたね。そして、「〜ブスン」の否定形は、「〜ブサヌ」です。これで、「不可能表現」となりますね。「ヌムン」を例にしてまとめると、以下のようになりますね:

肯定     否定
ヌミシーン  ヌミシャーヌ

ヌミブスン  ヌミブサヌ
飲める」  「飲めない」

さて、これで終わりでしょうか。いや、違います。ビデオにもあったように、これらの可能表現には、例えば敬語の表し方がどうなるのか、という問題がでましたね。そして、よく考えると、過去形(昔は飲めました)等、他の文法と合わせたときの様々な言い方も確認しないといけません。このように、一回の調査から、少しずつ文法の理解や記述を深めていくのです。

ちなみに、ヤギは大変美味しかったです。んまはーだゆー、しかいとぅみーはいゆー。

おーりたぼーり第7回:形容詞パート2

けーらなり、みしゃろーるんねーら?ポッドキャスト第6回アップ すぃたゆー。どーでぃん しきたぼーんなーら!

ポッドキャストの第7回では、形容詞の説明の続きをやります。形容詞の様々な活用形(過去形・否定形等)、そして会話で実際使うときの言い方を紹介します。今後、第6回の内容をまとめてブログでも解説を書く予定ですので、どーでぃん ゆみたぼーんなーら。

「アンズ」の様々な表現

メーラムニの基礎単語の一つに、anzu アンズ「言う」があります。メーラムニだけではなく、この動詞に相当する単語は八重山語で幅広く使われます。形は少し変わりますが、例えば四箇の言葉(スィカムニ) では、anku アンクという動詞が同じ意味だそうです。

さて、メーラムニに戻りますが、この「アンズ」という動詞から、様々な表現が作られます。例えば、その連用形は「アンジ」anzi となりますが、これは動詞として「(そう)言って)の他に、日常会話の中で「アンジ?」(そう?)、「アンジ ダラー」(そうだよ)のように、日本語の「そう」と同じような意味で使われます。敬意を込めて言う場合は、例えば「アンジ ヤロールン?」(そうでございますか?)のような言い方もあります。

この他に「アンズ」からできた表現には以下のものがあります:

アンズカー  そしたら
アンズンケン そうすると;その時
アンズキ   だから
アンジテ   そして;それで
アンザバン  それでも

これらの表現は、会話の中でよく使われます。もともと動詞ですが、このように「会話の流れ」をマークするものとして使われるようになってきたようですね。

ちなみに、他の動詞にも上のような形がありますが、例えば「ヌム」(飲む)から「ヌムカー」にすると、「飲んだら」の意味を表します。また、「ヌムンケン」で、「飲むと」みたいな意味になるようです。「ヌムキ」は「飲むので」、「ヌミテ」は「飲んで」、そして「ヌマバン」は「飲んでも」のような意味になります。

おーりたぼーり第6回:形容詞

けーらなろーり、みしゃろーるんねーら?ポッドキャスト第6回アップ すぃたゆー。どーでぃん しきたぼーんなーら!

ポッドキャストの第6回では、形容詞の特徴を紹介します。今度ブログの方で、更に詳しい解説をアップする予定ですので、どーでぃん ゆみたぼーんなーら。